2011-08-22

ナショナリズム

私は社会学(広義の)や民族学等を専攻したわけでは在りません。
少しの本と少しの情報でしかナショナリズムを理解できていません。それに対してナショナリズムとは?と論じること自体無理があると思っています。

しかし、多くの日本人が震災以降に原発のつくりや危険性、コストパフォーマンスなどを論じることが出来るようになったことはそこに強烈な危機意識が芽生えたからではないでしょうか・・・。そう、生物はそこに生存や豊かな社会への危機を感じたときに自らを大きく劇的に変質することの出来る力を持っています。それはどんな生物もそのようなプロセスを、~種の保存に関する遺伝子レベルでの危機対応ですね~持っていると思います。しかし、まだまだクライシスだと思う意識は足りていない可能性があります。特に私たちを含めた若年層に関してです。


なぜ、まだまだ政争を続ける気でいるのか等も。
そしていっそ、数年だけでも武力政権による独裁など受け入れても・・・などということも考えてしまいます。なぜ、怒れないのか、なぜ論じ合う人間がいないのか。確かに論じ合うことは信念を元に戦うことです、だから熱くなることだってあるでしょう。なぜ戦うことをしないのかと思います。もし間違っていることが分かれば、改めればいいだけです。多くの人たちがなんでそんなにアツイのかと疑問に思われます。そしてあいつは~~~だ、気持ち悪いや変な組織や変な宗教かもなどど後ろ指を指される始末・・・。


ナショナリズムについて。

日本人とはなんでしょう???

日本という国体が示す地に住んでいるから?
肌が黄色く、目や髪が黒く、中背でそして祖先は農耕民族だから?
日本国という国籍だから?

だけではないですよね。
確かにそれらはナショナリズムの一部分ではないかと私は考えています。
そう、郷土愛や民族主義そして国家主義・・・などの集合体が
ナショナリズムだと考えています。


諸外国でうまれ、育ったひとでさえ、
仮に目が青くて肌が白くても、
もしくは肌の黒い人でさえも、

私は日本人であり、そして日本民族である」と信じれば、日本人になりうるのではないか思います。それだけそのナショナリズムがあいまいであることの裏返しでもあると思います。

つい数日前に、ある方とお話できました。
ある政策によって日本はだめになってしまうとその方は考えていらっしゃいます。

確かにそこに住む日本人を守ることは大切ですが仮にそうでなくなったとしても日本人がなくなるわけでは在りません。形あるものはいずれなくなってしまいます。全力でもって残すことも可能かもしれっませんがいつかは、日本というとても曖昧な枠組みはなくなるでしょう。それはUSAという枠組みでも、そして中国というカタチでも。


いつか訪れると思います。
肌の色等の外見が人を決めるのではなくて
個人の明確な意思が、自身を定義するという日。

その日に到達するには、もっと多くのヒトとしての危機を経験しなければいけないかもしれません。その時には私たちの外見は今のような外見ではないのかもしれません。


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