2011-05-18

尊厳そして死。

思うことがありました。



自殺の手助け禁止提案、住民投票で否決 スイス



普段なら軽く流すところなのですが、よく拝読しているブログのある過去記事を思い出しました。ずっと自分の体の片隅に残っていたのですね。下記がそのリンクです。
http://ameblo.jp/meca-underdog/entry-10797053493.html

「自ら「死」を選んだ女性」というタイトルです。

何でも1人でやってきた(生きてきた)女性がある病気で、体が不自由になりそれによって食事さえも人の助けが必要になったとあります。それによって自立心の高い(他人への依存心が低い)彼女は安楽死を求め、スイスに旅立ったそうです。その彼女の事の顛末は記されていないのですが、人間としての彼女の考える尊厳を保った上での生をまっとうできたものと私は思っています。



投票の結果、自殺する権利は守るべきであり、たとえ外国から来た人であってもその権利は認めるべきだとの意見が大多数を占めた。自殺幇助禁止の提案には85%が、自殺旅行禁止の提案には78%がそれぞれ反対票を投じている。投票総数は約27万8000票だった。
中略
チューリヒの自殺者は年間約200人に上り、「ディグニタス」という会社だけでも過去13年で1138人の自殺を幇助しているとされる。外国からはドイツ、英国、フランスなどから自殺目的で訪れる人が多いという。


安楽死・尊厳死という「Quality of Life」という考えが少しずつ日本人にも考えられつつあるようです。

では「安楽死」とはなんでしょうか。
基本的には病気などにより死期が近く、耐えがたい苦痛を伴ったり、治る見込みがない場合の「死」を早める行為(治療をやめる等の行為)が安楽死に該当するようです。そして安楽死をさせる人は医師でなければならないそうです。
しかし日本語で言うところの「尊厳死」は消極的な安楽死のことを言うようですが、私はこの場合においては欧米的な使い方での尊厳死、つまり積極的安楽死(自殺と自殺幇助の行為)をさすもの考えています。


もし
食べたいものを食べられなくなってしまったとき
そして、排泄等も他人の力を借りずにできなくなってしまうこと、呼吸すらも自らで出来なくなってしまったり自分が考える(社会性をもった)人間としての生き方が出来なくなってしまったとき。

あなたはそれでも生きること望みますか。
もしくは生かされることを望みますか。

という問いが浮かんできます。

分かりません。
自分がそうなることは予想できません。しかし、私が生かされることで家族に大きな負担がいくことを考えれば(お世辞にも裕福とはいえない家族の負担を考えると)尊厳をもった自らの「死」を考え、求めると思います。人はいつかは死にます。明日かも、1年後かもしませんし10年後かもしれません。もしかするとあと50年以上生きるかもしれませんが、生きている事で家族の重荷にはなりたくないです。

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